鳥取県の因州和紙、青谷和紙を使用したランプシェード 3品
因州和紙の起源は定かではありませんが、奈良時代の正倉院文書の中に、因幡の国で抄紙されたと推測される紙が保存され、平安時代の「延喜式(えんぎしき)」(905-927年編纂)に因幡の国から朝廷に紙が献上されたという記録があります。江戸初期には、因州和紙の原材料である楮(こうぞ)、雁皮(がんぴ)の名が亀井侯文書に「切ってはならない木」と記されています。因州和紙は藩の御用紙としても庶民の使う紙としても盛んに生産され、紙座で取り引きされました。明治時代に入ると、海外からの紙の漂白技術導入、鳥取県の三椏殖産奨励、他県から技術導入した合理的な生産方法のおかげで生産が飛躍的に向上し、その勢いは大正末期まで続きます。昭和に入り洋紙の生産力の向上に反比例して、因州和紙は庶民が使用する紙の地位を洋紙に徐々に明け渡していきます。それでも第二次大戦中にはその楮紙抄造技術が優秀と認められ「気球原紙」の生産を政府から依頼されたほどです。